ままここmamacoco

アラフィフにして、フリーランスに転向したHSP女は果たしてフリーとして生きていけるのか?

「コンクリートお化け」と呼ばれたおばあちゃんが心から欲しかったモノは、一杯の水と家族でした。

えー、ブログでたまにSTORYSをお送りすることにしました。

「コンクリートおばけ」と呼ばれたおばあちゃんのお話し。

貪百姓(どんびゃくしょう)から一財を築いたおばあちゃんが、死に際に心からほしかったものは、一杯の水と、それから家族でした。

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うちのおばあちゃんのあだ名は

 

「コンクリートおばけ」

 

だった。

 

母の小学校の授業参観で、真っ白いファンデを顔中にぬりたくってクラスの後ろに立っていたおばあちゃんは、よほどクラスの子供たちの目をひいたらしい。ついたあだ名は「コンクリートおばけ」。わたしの母はそのあだ名でめちゃくちゃバツの悪い思いをしたと言っていた。

 

わたしが腹を抱えて笑ったおばあちゃんのエピソードである。

 

貧乏な百姓の家で育った女が、にわか事業で大金を手にし、やったこともない化粧をしたらコンクリートのように顔が真っ白になってしまったというわけだ。

 

今にして思えば、そのコンクリおばあちゃんはなかなかやり手の人物だった。

小さな饅頭屋からはじまり、パン屋、セメント業者、風呂釜販売と事業を転々と変えながら、最後にはNECというビッグネームから仕事を依頼され、結果、電気事業で一財をなしたのである。すべて彼女のチャレンジ精神と天から与えられたの引きの強さのおかげであった。

それからイザナギ景気に乗って、とんとん拍子に電気事業が軌道に乗ったため、ばあちゃんちは田舎村では知らぬものはない財産家となる。田舎レベルであるからしれたものだが、夏の帰省で、わたしがあの家の孫だというと、「へえー! すごいねえ」と知らぬご近所に感心されたものである。

 

しかしまあ、金を手にすると、いい顔をする人たちばかりではない。

裏では陰口をたたかれ、好き勝手言われていた。

表立って笑顔でやってくる人がいると思えば、実は金を融通してほしいと言ってくる。

 

おばあちゃんは人を信じられなかったんじゃないかと思う。

だから、おばあちゃんはいつもお金をちらつかせた。

 

それは人とつながるため。

人に何かをしてもらうと、すぐに万札を出す。要求しなくても金を渡す。

 

おばあちゃんは、金持ちだった。

 

お金を渡せばみんないうことをきいてくれる。お金を渡せばそばにいてくれる。お金を渡せば、自分という存在がここにいる理由になる……。

 

しかし、肝心なところでお金は力を出してくれなかった。

 

「あけみ、家に帰りたいよ」

 

おばあちゃんが90歳を越えたころになると、ずっと介護系の病院に入院するようになった。

 

たまにボケたことをいうには言ったが、問題となるほどではなかった。身体もいたって元気だったのに、骨折で入院した後、いつまでたっても病院にいた。

いったいいつになったら退院するのだろうと不思議に思っていると、

家で面倒をみてくれないと、おばあちゃんはいうのである。

孫のわたしは近くには住んでいたが、同居はしていない。

長男の家におばあちゃんは住んでいたのだから、当然帰るべき家は、ちゃんとあるし、わたしは姪っ子だから口を出せる立場ではない。

 

「家に帰りたい、家に帰りたい」

 

おばあちゃんはいつもそう呪文のように言っていたが、叔父の家の事情はわからない。

なぜ帰れないのか、何か理由があったのかもしれない。

 

しかし、気になったのは、おばあちゃんが入院費を自分で払っているということだった。

 

家族はおばあちゃんが入院していても、支払いが発生しないのだから痛くもかゆくもない。それどころか、面倒をみなくていいわけだから、かえって快適に過ごせる。おばあちゃんがよかれと思って入院費を払っていたことが、かえって引き取られない状態を招いていたのかもしれない。

 

もし、同じ状況で家族も本人もお金がなければ、きっと家でみることになっていのではないかと思うのだ。だって何十万もの入院費はは、そうそう出せるものではない。彼女ほど健康だったら、そして家族も本人もお金もなかったとしたら、家族も仕方なく家で面倒をみたのではないだろうか、と思う。そうしたら、おそらく念願の家で面倒をみてもらう、という夢が叶っていたのかもしれない。

 

「わー、ゆきさん、きれいですよー」

 

ある日、おばあちゃんは入院している病院で看護婦さんたちに化粧をしてもらってとても喜んでいた。

「コンクリートお化け」と呼ばれてから、ン十年も経ち、その間に化粧がうまくなったかというと疑問だが、お化粧をするのは大好きな人だった。入院してもよほど弱るまではいつも身支度を気にし、きれいにしていた。

 

お化粧はおばあちゃんでいる最後の砦だったが、それもしなくなると、次第にボケが激しくなり、身体も弱ってきた。

 

おばあちゃんが亡くなる前の日。

 

おばあちゃんは病院で集中治療室にいた。もう様態がよくなく、熱もあり、苦しみに必死で耐えていた。

最後にわたしが聞いた彼女のセリフは

 

「水が欲しい、水、水」

 

だった。

なぜ水をあげられないのか忘れたが、看護師さんに止められあげることはできなかった。氷を少し口に含ませるだけで、コップから水を飲むという行為は禁止された。見ていて本当に辛い時間で、後で思えば、どうせ死ぬのだったら、水くらいたらふく飲ませてあげればよかったのだが、死んでしまっちゃあ、もうどうすることもできない。

 

お金はあっても死ぬその瞬間の、一杯の水はもらえなかった。

 

そして、家族と一緒に暮らしたいという彼女の一番の夢は、そのまま潰えてしまった。

 

お金があっても、彼女の本当にほしいものは買えなかったのである。

 

葬式のとき、私のいとこたちが集まると、おばあちゃんの顔を覗き込んだ。

 

「これじゃおばあちゃんじゃないね」

 

コスメアドバイザーの仕事をしているいとこが、真っ赤な口紅を取り出すと、まるで眠っているようなおばあちゃんのその唇を塗った。ちゃんとアイシャドウをし、チークをする。真っ白いその肌は、ファンデなんか塗りたくらなくても、透けるように美しかった。

 

こんなにきれいにしてもらったんだ。もう、コンクリートお化けとは言わせない。

 

わたしをふくめ、孫たちはみなおばあちゃんを愛していた。

おばあちゃんを大好きな人間が今ここに集っていた。

 

わたしはおばあちゃんに聞きたかった。

 

おばあちゃん、あなたの欲しかった愛は、ここにちゃんとあるじゃない。お金を払わなくても、ちゃんと手に入るって知らなかったの?

 

コンクリおばあちゃんは、豪快な一生を終えた。

ずっと帰りたかった家に戻ったのは、命をまっとうしてからだった。