先日高円宮家の典子さまと、出雲大社の跡取り千家国麿さんがご成婚なされましたが、私は、典子さま、大変な家に嫁に行ったものだと正直思いました。

 いくつもの古代史関連の本を読んでいると出てくるのが、こちらの『出雲大社』という本。

 

出雲大社

出雲大社

 

 

著者は当時の出雲大社宮司、第82代出雲国造 千家尊統氏。

国麿さんのひいおじいさんにあたります。
出雲大社の宮司は、単なる神主さんだと思ったら大間違い、古来からの出雲国造をこの現代まで連綿と受け継ぐ由緒正しい家系。
 いや、単なる由緒正しい家ではないのです。

 今まで読んできた古代史関連の本では、この『出雲大社』の中で驚きの事実の証言があるため、かなりセンセーショナルな部分をピックアップして取り上げられており、わたしもその事実を知りたくて取り寄せて先日から読んでいたところです。
 
 そのセンセーショナルな部分をぶっちゃけて言います。

「出雲国造は、神である」

 著者、出雲国造である本人がそう書いているのですから、間違いありません。

 ただ、よく混同されがちですが、西洋の神とは一線を画します。

 初代アメノホヒはアマテラスの誓約により生まれた神さま、天皇家とは兄弟筋になります。
大国主命が出雲国の統治権をヤマト国へ譲った国譲りののち、ヤマト政権はアメノホヒへ出雲大社の大国主命の祭祀を命じました。その後出雲国造としてその命を守りつづけているのがこの千家家のルーツです。
 出雲国造は、皇室と同じく神代より連綿として男系が国造を継承するのですが、出雲国造の代を譲る時、火継式という厳重な儀式を執り行います。火継式は、つまりは代を譲る日継式、そして魂を譲るという意味の霊(ひ)継式。

 国造家に古代から伝わる、『古事記』にもその名のみえる火きり臼と火きり杵とで鑚り出した、その火で調理した斎食を新国造が食べることで、初めて出雲国造になります。出雲国造となってからは、死ぬまでその火で作られた食事のみを口にし、家族がそれを口にすることはありません。その火は厳重に守られ、その国造が死ぬまで絶やしてはならないとされています。

 先代が亡くなられるとその嗣子はすぐに熊野神社に出立し、神火相続の儀式を行います。もともと出雲国造が奉斎してきた熊野の神、クシミケヌノミコトは”ミケ”=御饌(みけ、食事のこと)が表すように、穀霊。大国主命の御父神であると伝えられ、「穀物の豊かな実りを保証し、約束する神」。神そのものになることで、五穀豊穣を祈念するのです。

 その場所でこの火継式を行い、神の前で神と同じものを食し、アメノホヒそのものになる…。
 出雲国造はアメノホヒノミコト永生の姿とされるのですが、その霊力も一年経つと衰えてくると考えるようで、一年ごとにその火継式と同じような祭りがおこなわれるとか。

それが新嘗祭。

新穀を国造が神々とともにいただくことで、新しい生命力に満ちた神の霊威を身に付けるのだと。

その考え方が、伊勢神宮や出雲大社の式年遷宮にも当てはまると聞いた時、なるほど、でした。命が永遠と続くとする日本人特有の考え方、それも衰えてくるとし、新たに儀式により受け継ぎ、受け継ぎここまできたのです。きっと西洋の人から見るとおかしな風習でしょう。

 この考え方は皇室にも通ずるのでは?と著者はいいます。

 天皇が代々天孫ニニギノミコトそれ自体にほかならないとするのと同じように、出雲国造も、アメノホヒノミコト。
 皇室の新嘗祭。
 皇室のことでうかがい知れないところがあるとはしながらも、この出雲大社の儀式を通して、天皇という存在もなんとなく見えてくる気がします。

 天皇が神である、というのは、その言葉は西洋と同じ神を考えてしまうけれど、この出雲国造のように、ニニギノミコトとなりながら五穀豊穣を祈念する神であるのです。
 
 このブックレビューをどのように書きだそうかとなやんだのですが、この

「出雲国造は神である」

というところがこの本の趣旨ではありません。

出雲大社は日本の黎明期といえるほどの古代からの歴史を刻んでいる事、上古の時代に巨大な建築技術を示したり、他の神社ではみられないしきたりがあったり、知れば知るほど偉大な存在であり、そして雄大なロマンがある。そのことをこの本は学識深い文面で丁寧に語られています。その静かな語りの中で感じられるのが、出雲大社への愛。きっと時には重すぎるのではないかと感じられるその歴史を対面から見据え、受け止めてきた、そんな本です。

センセーショナルな、部分だけが古代史関連の書籍のあちこちで取り上げられているため、正直「出雲大社暴露本」ではないかとおもいながら読んでいたのですが、日本の歴史の深さを感じる本でした。

ちなみに、個人的な意見ですが、この著者の尊統さんは、イケメンです(笑)

もっといろいろ書きたいのですが、今にこの本を丸写ししそうなので、おまけを書いて終わりにします。

≫知らなかった出雲国造!

・お正月に「かくし芸」などでよく聴く「一月一日」♪とーしのはーじめーのためしーとてーの歌詞を書いたのは第八十代国造の尊福(たかとみ)氏
・千家家、昔は男爵だった!
・静岡、埼玉、東京の知事をしていたこともある(ワタシが静岡なので、ちょっと親近感)
・当時の明治天皇に借金を申し出た!

ほとんど第八十代の尊福氏の話しですが、この借金の話しが特に興味深かったのです。政治家をしていたときいて地位をひけらかした、いけすかない政治家をイメージしていましたが(政治家からくる勝手な想像よね)、天皇や日本のために日本を駆けずり回ったために金がなく、家が傾いていると、それも天皇のためだと、明治天皇に4千両という大金を20年ローンで申し込んだという話し。なぜ一国の宮司が男爵になったのかと不思議に思っていましたが、もしかしたらこの人の人柄で男爵になれたのではないかとちょっと想像。

古代史、出雲大社に興味のある方にはおススメの一冊です♪

 

 

出雲大社

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出雲大社 (楽学ブックス)

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