ままここmamacoco

アラフィフにして、フリーランスに転向したHSP女は果たしてフリーとして生きていけるのか?

学校そのものが、いじめを生み出しやすい環境なんだそうな。

こんにちは! 子育て応援!育勉インストラクターてらっちです♪

 

学校でいくらいじめをなくそう!みんな友達、仲良くしましょう!と言っても、のれんに腕押し、ぬかにくぎ、なのは、おそらくみなさんご承知のはず。

 

まあ、うちの子に「ケンカするなよ!」と言ったって、ケンカするときゃするし、親が口出ししたから治ることじゃないので、それと一緒なのでしょうが。

 

それにしても、なぜいじめって起きるのでしょう?

ずっと不思議でしたが、こちらの本で一つの解が得られました。 

ヒトは「いじめ」をやめられない (小学館新書)

ヒトは「いじめ」をやめられない (小学館新書)

 

 

残念なことにいじめはなくならない

結論から言いますと、タイトルの通りいじめはなくならないそうです。

脳科学的にあれやこれや解説してくれていますが、難しいことはちょっと置いといて、

 

とにかく人間が 生きていく上で、「仲間を作ろう」「集団を維持しよう」とするときにちょっと変わった行動をした人がいると、異分子として排除しようとするんですって。

それは人間が種の保存のために、長い年月をかけて獲得した脳の機能なんです。

 

ちょっと体が小さいから役に立たなそうとか、ちょっと生意気だとか、みんなと格好が違って目立つとか、目立つ可愛さがあるとか、スタンダードと少し違うと判断されると制裁感情が発動してしまうよう。

 

その排除行為が正義だと思っているのが厄介で、さらに相手を叩いているときドーパミンが活性化して快楽を伴います。ですから、快楽を伴って起きる現象は、降っている雨を止めようとしても無駄なように、止めるのは不可能だということ。

 

ネットの炎上といじめの構図

ネットの炎上も同じ構図です。

相手をバッシングするとドーパミンという脳内麻薬が活性化してバッシングはさらに激化。それからさらにバッシングすることで得られるドーパミンの快楽を求めて、叩く相手を探します。

 

・正義を振りかざす点

・承認欲求や達成欲の充足

・(場合によっては)匿名性によるリベンジの回避

 

いじめとネット炎上は似ているんだそう。

 

ひゃー。

 

学校はいじめを生み出しやすい環境になっている

さらに。

学校という環境がいけない。

いじめが起きるための条件が

「規範意識が高い集団」

なんだそう。真面目であればあるほど、仲間意識が強くなれば強くなるほど、異分子発見モジュールがピピッと反応して、異分子を追い出そうと一斉に叩き出します。

 

つまり、学校の存在こそ、いじめを生み出しやすい環境なんです。

さらに合唱や合奏など、同じ目標で一致団結して行われる行事も危ない。みんなが同じ目的を持って行動する中は、非常にいじめが起きやすくなっているとか。吹奏楽部も特にいじめが起きやすい部活として紹介されていました。

 

中野さんは、その対策として

・毎日席替えやチームがえの頻度を増やす、

・他のグループと競争するのではなく、距離感を生かした交流をする

 

など、意図的に空間的な距離を加えたり集団の人間関係に変化を与えることを提案しています。

 

とにかく狭い空間に類似性の高い集団、年齢も目的も同じ子供達が長時間押し込まれているという状況が、妬みの感情や排他的行為が起きやすい環境なので、それを逆に風通しよくして同じ組み合わせの集団を作らないようにするんです。

学校の意義とは反対みたいですが、「仲良くしすぎないこと」がいじめを減らすコツのよう。

 

いじめを回避する方法

いじめを回避するにあたって、個人的にできることは、

 

・自分の感覚と、他人の感覚は違うということを知ること。

・苦手な人と仲良くするより、適度な距離を保ち、お互い傷つけ合わないことを目指す

「60パーセントの仲」でいるように務める

・率直に話す力を高めること(うまく流したり、ちょっと高難度だけど爽やかに切り返す力。自分の正当性をさらっと伝え、相手の間違っていることもさらっと伝える。アサーティブってやつですね)

 

が必要とのことでした。

 

環境を変える

イタリアの例が面白くて、イタリアでは人と違う意見をいわないと評価されず、同じ意見を言うとアホかと思われるんだそうです。

それだからかはわかりませんが、第二次世界大戦中のイタリアは弱かったと。多分みんな好き勝手なこというから統率が取れなかったんでしょうね。

でもその後、デザイナーやクリエイターや芸術家など個性的な才能のある人が多く出てくるのもイタリアでした。

いきなりイタリアのような、個性を重んじた社会にはなれませんが、日本でも個性を認める環境は必要です。

 

学校以外の教育機関も認められていい時期でしょうね。

 

わたしの個人的には、モンテッソーリの学校を小学校、中学校も認めるなどして、日本の学校以外の環境も整えるべきではないかと思います。

モンテッソーリの学校は個性を生かした教育で、苦手科目より得意な科目を伸ばす教育は、平均して学ぶことが苦手な子も勉強に対してワクワクして取り組めると思っています。

 

子供たちに伝えたいこと。

中野さんからいくつか提案がありました。

「友達がいないことが悪いことではない」という価値観があることを伝えること。

 

「いじめはいけないよ」だけではなく、「人間というのは、本当はズルをしていない人に対しても『ずるをしているかもしれないから懲らしめてやろう』という気持ちが生じるものなのだ。そしてそれはとても危険なことなのだ」と教えること。「あのこを懲らしめてやりたい」と心が揺らいだときに、「ああ、この感情がサンクションなのだ。これは強くなると危険なことになる感情なのだ」と気づかせることが、より自分の感情を客観視する力を育てることができるのではないでしょうか。

 

そして、いじめは始まってしまったら止められません。

最も有効な方法は、「攻撃の手が伸びないところまで逃げ切る」「親に報告する」ことだとし、真面目な子ほど逃げてはいけない、親に心配させてはいけないと思いがちです。

 

普段から、子どもと保護者との間で、一人で背負わなくていいということ、なんでも話して欲しいということを、伝えておくといいと思います。

お互いに話せる環境と信頼を築いておきたいですね。

 

まとめ。

いじめはなくならない、という事実は衝撃的でした。

そしてそれが脳の機能として埋め込まれているものだということ。

学校がそのいじめを生み出しやすい環境だということ。

学校自体のあり方を問うものでもありますし、すぐに学校という環境は変わりませんから、自衛的に親子間でなんでも話すように伝えておくこと。学校以外にも逃げる場があり、学校は閉じられた狭い世界でしかないと親子で確認しておくことをお勧めします。

 

いじめは無くなりません。

大人になってからも大なり小なりいじめは起こります。

それを踏まえて、その時にどうしたらいいのか、科学的見地から学び、家族で普段から話しておくと、いざという時の対応が違ってくるのではないでしょうか。

 

ヒトは「いじめ」をやめられない (小学館新書)

ヒトは「いじめ」をやめられない (小学館新書)