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アラフィフにして、フリーランスに転向したHSP女は果たしてフリーとして生きていけるのか?

『103歳になってわかったこと』ブックレビュー~自然体のパワフル103歳画家、篠田桃紅さんの話し。

『103歳になってわかったこと』

篠田桃紅(しのだとうこ)

 

この人のことは何も知らずに読み出した。

略歴も簡単なものだ。

「墨を用いた抽象表現主義者たして、世界に広く知られており、数えで103歳になった今も第一線で製作している」

ふんふん、アーティストとして、どうやら有名らしい。

 

それくらいの前知識で読み始めた。

 

103歳だというから、昔かたぎの、昔はよかった的な話しがくるのかと思いながら読み始める。

丁寧で美しい日本語では文章は綴られ、読んだ印象ではゆったりとした静かな語り口。

 

しかし読み進めると、これはかなりとんでもない人だということがわかってくる。

 

家は裕福だったようで、女学校に通い、その後、書の先生として勤めていたらしいが、ある日、こう書かなければいけない、という決まりごとが窮屈になったという。

川という字をタテ3本の線を引くのが日本人なら当然だと思うが、彼女は違ったのだ。

3本ではなく、無数の線で表したい、時には長ーい一本の線で川を表したい、と思ったのだという。もうそのあたりがアーティストである。

もう型にはめられているのがバカらしくなる。

 

とにかく自由人を絵に描いたような人。

 

毎朝決まった時間に起きて、食事をするとか、スケジュールというのも好まぬらしい。

アメリカへも、自分の絵を紹介してくれると聞いて、ああそうですかと二ヶ月のビザで渡航し、自由なニューヨークを気に入り、二ヶ月の更新に更新を重ねて行き当たりばったりで2年いたそうだ。自然の成り行きに身をまかせる。

 

なんて壮大な人なんだろう。

 

時代は当然ながら不自由な時代だった。

戦前にもう個展を開いていたというのだから、さすが103歳、経歴はハンパじゃない。

当時、彼女の通っていた女学校の教師が言ったというセリフがこれだ。

「あなたがたはこうして講義を受けていますが、今この瞬間にもあなたがたと同じ歳の貧しい農家の娘たちは、凶作のためにお女郎になっているんですよ」

親が進める相手に嫁ぐのが当然だった時代、下手すれば女はモノとして売られる時代。

しかし彼女は自分の納得できる相手と結婚したいと書の先生となり、家を出た。

結局独り身で通したらしいが、そんな戦前、戦後の時代で自分の意思を押し通すというのは、現代では考えられぬほど、ものすごいエネルギーが必要だったはずだ。

ただただ、彼女の強い意志と信念に敬服する。

 

読んでいると、静かな文章からものすごいパワーを感じる。

海外で当然ながらアーティストとも交友を深めていたようだが、さすがアーティスト!白いドレスをわざと泥を跳ね上げてきて、泥模様を作ってきたとのたまうアーティスト仲間がいて彼女はそれを楽しんでいる。

様々な文化の交流をアメリカで体験し、それを楽しんで受け入れてきた。それぞれの文化を尊重する、相手に従うのではなく、お互いに違うことを面白がる、海外でワクワクしてからしていた様子を想像して楽しく読む‥‥

 

現在売られている自己啓発の本に書かれているようなことを、103歳の芸術家は自然のながれの中で実践していた。

 

・社会の決まりにとらわれず自立する

・自分の個性を生かす

・海外へ発信する

・さまざま人との交流を大切にする‥

などなど。

 

本人はこれっぽっちも自己啓発だの、なんだのということは考えたこともないのだが、自然とやっている。それも飄々と、年甲斐もなく、だの、いい歳して、なんていう世間に対して、「だから何?」という顔をしている。

 

彼女が渡米したのは43歳、ちょっと遅めのデビューのようだけれど、歳のことは、今も昔も本人は気にしなかったよう。

 

かっこいいなあ。

 

わたしが普段、日々のことに追われて忘れていること、それを思い出させてくれた、そんな一冊でした。

103歳のパワフルねーさん、かっこいいです。

 

よかったら。