ままここmamacoco

アラフィフにして、フリーランスに転向したHSP女は果たしてフリーとして生きていけるのか?

てらっち、救急車へ乗る。vol.1

人生初の救急車に乗ってきましたー!

なんて、喜んでる場合じゃない。
今回病院に担ぎ込まれるという人生初の経験をしてきました。
 
今日はその顛末日記どす。
 
その日、夜寝るまでは普通の生活をしてたんです。
ちょっと街のデパートへ行き、リッチなブランド屋をめぐって目の保養をし、気分だけどリッチを味わい、デパ地下で好きなデザートを買いーの、ダンナの目的の年末ジャンボを買いーの…。
いたって普通の休日を送っていましたのよ。ええ。
 
腹痛が何時から始まったのかは定かではありませんが、腹が痛いと気づき、布団の中で唸ること、おそらく1時間。
夜中の3時ころ、スマホで時間を確認したあたりからどうしようもなくなり、トイレにこもりました。
年に何回かは必ず激しい下痢による腹痛を起こすため、きっといつものそれだろうなー、嫌だなーと思っていたのですが、どうやら下痢というほどでもないし、しかも吐き気がある。
なんだか中途半端なまま激しい腹痛は続き、
「出るならでちまってくれー」
とあがいておりました。
とうとう吐き気がひどくなり吐いたところで、
「やばい、ノロかもしれんぞ」数年前にやったノロウィルスを思い出しました。あれは酷かった。
……あれは数年前のこと、息子1号から始まったノロウィルス。正月元旦を皮切りに、めでたい正月にめでたくないノロウィルスが家族を次々に襲い、とうとう4日には一家全滅。なるべく広がらないようにと、最初の息子1号の嘔吐物のついた毛布も全部捨て、手洗い、消毒など徹底したつもりであったのに、結局全滅した過去に、なるべくあちこち触らないよう、手をグーにしてトイレ地獄に入りびたるわたし。
今思えば母の鑑だわ。
なんてえらいのでしょう、わたし!
と、誰も言ってくれないので自分で言っておきます。
 
で、
 
結局激痛のままにっちもさっちも行かなくなり、呻いているところへ、やっとダンナが気づいてくれました。
「大丈夫かー?」
「大丈夫じゃ…な…い」
ほぼ瀕死です。
 
わたしのただならぬ様子に慌てふためくダンナ。
病院に行くか?と救急の電話を探すもうまく見つけられない様子。何やら文句を言いながらあちこちあさっている様子。
うーん、ちゃんとわかりやすいようにしとけばよかった。
ただ、今のわたしは一ミリも動けません。
 
早よせいダンナ!
わからなきゃスマホで検索せい!と心の中で訴えながら、唸ってました。
 
ただね、一度は動けそうだと思ったものの、ほんとにすこっっっしも動けなくなって。
でも便がそれ以上出るわけでもないので、なんとかトイレから転がり出てその場でやっとうずくまった、それが限度でした。
 
3階から車まで動ける自信は、まーったく、ない!
 
「どうする?救急車呼ぶ」
「よ…呼んでくれー」
 
そうして初の119番へと相成るのでございました。
 
つづく。